「沓掛時次郎 遊侠一匹」は、加藤泰の多彩で華麗なフィルモグラフィーの中でも屈指の傑作と言われている。
いや、日本映画史に残る傑作と言う声もある。
それは、加藤泰ファンの方々には十分認知されている事だと思う。
でも、それだけで、今日どれだけ多くの若い映画ファンの食指を動かす事が出来るのだろうか。
何せ、博奕打ち渡世人の股旅ものである。戦国の武将でも幕末の剣豪のお話でもない。
例えば、黒澤作品のような名声が知れ渡っている訳でもない。
古臭いイメージを抱かれる方も居るであろう。
かくゆう加藤泰ファンの私も、時代劇は不得手との先入観のみで当初は敬遠していたのだから。
で、以下は、若い映画ファンへの紹介として受け取って頂きたい。
とは言え、告白したように、時代劇をあまり観ていない者ゆえ、そこからのアプローチは甚だ心許ないのでご容赦を。
ところで、加藤泰の魅力ってなんだろう。
それは、技巧的にはロー・アングルとフィックスによる長廻し、クローズアップの多用からなる被写体への凝視の艶っぽさにある。
また、ドラマツルギ―的に見れば、情感深さと溢れんばかりの情念、そして、日陰者へのシンパシーや愛情等が挙げられる。
登場人物たちに血を通わせ、感情豊かとし、さらに男と女が心を通わせるさまを、時にストイックに、時に艶やかに描く。
もちろん、アクション、立ち回りにも実に構図に拘り続ける。
今作には、これらの加藤泰流映像美学と情念がほとばしっている。
時次郎とおきぬの理と情の狭間で苦悩する過酷で辛い出逢いから顛末はギリシャ悲劇のようだけど、情緒的で切なさとリリシズムに溢れている。
時次郎が背負い込むやくざ渡世に生きる事の苦悶と自分の亭主を殺めた男に惹かれていく事の自責。
中村錦之介と池内淳子の名演が、映画をより激しくドラマチックなものにしている。
そしてもうひとつ、今作には本筋の前に魅惑的なエピソードが綴られている。
それは時次郎の弟分の身延の朝吉のパートであって、それは渥美清のパーソナルな魅力ゆえに大いに笑わされるものの、その末路にはやくざ社会の凄惨さと虚しさを感じるのだが、実はこのエピソードは、加藤泰のアイディアではなく、脚本を手掛けた鈴木尚之と掛札昌裕による創作であった、。
加藤泰は、原作の長谷川伸の戯曲にもないこのエピソードは不要と削除する事を考え、ふたりの脚本家とホン全般について激しく論争したと言う。
加藤泰は言うまでもないが、鈴木尚之も「飢餓海峡」などで薄幸の女の哀しみを書かせたら絶品の人である。
お互い創作者としての誇りを以ての対立であったが、結局、加藤泰は脚本を一行も変える事なく映画を撮り、今作は世に出る。
加藤泰は、かって黒澤明の「羅生門」の助監督に付いた時、黒澤の演出ぶりと映画が観れば観るほどさっぱり分からんとの思いで、本編(黒澤)への批判とも思える予告編を作ったと言う。
演出には一切妥協はしないと言われた職人気質の加藤泰だったが、その時何故自分が引いたかと言えば、今作はまずふたりの脚本家による脚本があり、その後で加藤泰が監督に起用されたとの経緯があったからではないか。
ひとつの映画、ひとつの傑作が世に出るまでには様々なドラマがあると思うが、映画人としての筋を通して、この傑作は生まれたと言えるのかもしれない。
今の日本映画は、繊細で詩情的な作品か、TVシリーズの延長上の作品、劇画チックで荒唐無稽な作品が目立つ。
今作のような、激しく、むき出しの映画にはすっかりお目にかからなくなった。
若い映画ファンの方々は、今作に触れて、“映画的な映画”とはどんなものなのか、是非体験して頂きたいと思う。
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