これは今までの木下恵介のイメージを一新し、新たな批評の可能性を拓いた名著であろう。
彼の映画を観るたびに「この作家はゲイだ」と直感していた。しかしながら木下の作品のホモセクシュアルな面を論じた本は今までまったくなく、正直言ってイライラしていた。それこそがまさしく彼の作品の何ものにもかえがたい魅力なのに!
ヒューマニズム、反戦、叙情、感傷、女性映画性、大船調、技法分析などを(好意的・批判的かかわらず)論じたのが今までのだいたいの批評。筆者はそうした従来の批評における彼のステレオタイプ化されたイメージを、木下映画における「男性」のエロス、そして『惜春鳥』の章では作品のゲイ性・ゲイ・エロスを喝破することでパラダイム転換させる。『惜春鳥』を日本初のメジャーゲイフィルムにしているところ、そしてこれを木下の「捨て身のカムアウト」映画とまで言ってしまっているところは、もう「行き過ぎ承知」で拍手喝采だ。あっぱれ。「待ってました!」ってな感じ。
この本を読まずして、木下恵介はおろか、ゲイ・フィルムやらクィア・フィルムやらを語ってほしくありません。木下のステレオタイプな面のみをあげつらって、彼をバカにしてきた方々、これを読んで少し感性を広げてみては? 異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に 関連情報
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毎日アイポッドでも 聞いて居ます。
恵介君の8月サマーディナショー、9月名鉄ホールのコンサートも楽しく歌って来ました。
奇麗なハスキーボイスは,ステキです。
風連湖、君だけさ、チェジュドのひとよ、等々 恵介くの魅力たっぷりです。
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わが国で刑事事件被害者(やその遺族)の人権を守る運動を盛り上げるうえで、そしてまた今日見られる「加害者には厳しく」という世論の動向を作るうえで画期になった事件が、1997年の「神戸連続児童殺傷事件」と1999年の「光市母子殺害事件」だったことは、どなたも異論がないでしょう。
実際、前者の事件の遺族・土師守さんや、後者の事件の遺族・本村洋さんは、犯罪被害者の会を立ち上げるうえで重要な役割を果たし、今も熱心に活動を続けておられます。ともに事件後「わが国では被害者や遺族の人権があまりにもなおざりにされている」と痛感し、痛憤の念で運動を始められたようです。
が、この映画『衝動殺人・息子よ』を鑑賞すると、それ以前に、もっとひどい時代があり、「刑事裁判は国家と被告人とが当事者であるから、被害者遺族は何の当事者性もなく、裁判が開かれることの情報提供さえしなくてよい」と考えられていたこと、また「被害者遺族の蒙った損害の償いは、純粋に民事的問題だから、取りたければ民事訴訟を起こせばいいだけだ」という考えで割り切られていた時代があったということがわかります。この映画で描かれている主人公(モデルは実在人物)の必死の努力を通じて「犯罪被害への補償は、国に対して税金という形でいわば治安維持の保険料を払っている国民みんなにとって、当然受け取る権利がある保険金だ」という法思想が、はじめて認められたのです。
今日の被害者問題を考えるうえで、原点ともいうべき事件が、この映画の事件だったと思います。
その意味で、土師守著『淳』、山下京子著『彩花へ―「生きる力」をありがとう』、門田隆将著『なぜ君は絶望と闘えたのか』などの本とともに、この映画の鑑賞をみんなに勧めたいです。
ただし、ここでひとつ、間違えてはならないことがあります。「被害者や遺族の人権」と「被疑者や被告人の人権」というものを、総量一定の枠内でのシェアの取り合いのようなものととらえ、「被害者や遺族の人権を尊重するために、被疑者や被告人の人権保障を今よりも切り縮めてしまえ」というような暴論を唱える人に、うかつに賛同してはならないということです。
捜査段階での被疑者の人権、裁判段階での被告人の人権が守られるべきであることは、当然の前提であり、被害者運動も、その前提を認めたうえで冷静に主張を展開してゆくべきものです。
松本サリン事件に際して、自白偏重主義の警察の捜査方針がいかに重大な人権侵害を惹起したかを、けっして忘れてはなりません。その意味で、この映画に感銘を受けた人は、熊井啓監督の『日本の黒い夏』も必ず同時に鑑賞して、両者を踏まえたうえで自分の意見を創造するように、お勧めします。
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いやはやエピソードや蘊蓄がてんこ盛りの評伝です。「二十四の瞳」「楢山節考」「野菊の如き君なりき」など数えきれない名作を生み出しながら、同時代の名監督と比べて今一つ忘れられた感のある木下恵介監督。その素顔や作品を、作家であり映画評論家であり映画監督も務めた長部日出雄氏が、熱情を込めて描き出してゆきます。どのページを開いても、面白いエピソードがぎゅっと詰まっていて、木下恵介を知らない人でも引き込まれること間違いなし。下世話な言い方をすれば、お買い得な本、お値打ちな本といえるでしょう。ただ、ノンフィクションライターが手際よくまとめた凡百の伝記とは異なり、作家の個性や匂いが随所に顔を出します。長部氏は太宰治と同じ津軽の出身だけあってか、独特の饒舌な文体を駆使して、木下恵介という人物像や作品の魅力の源泉を、語る語る。語り出したら止まらないといった趣です。それが嫌だと思う人もいるだろうけれど、いつの間にか引き込まれている自分を発見することでしょう。読後は木下作品が無性に見たくなる、喉の渇きのような感覚にとらわれます。DVD全集は高額でちょっと手が出ないし、困った困った……。 天才監督 木下惠介 関連情報
1957年に公開された「喜びも悲しみも幾年月」は塩屋崎灯台長であった田中績(いさお)氏の妻きよさんが
「婦人倶楽部」(1956年7月号) に掲載した手記が木下監督の目にとまり製作に至ったことは余りにも有名な
話です。
当時、若山 彰が歌う主題歌が大ヒットとなり、ラジオでこの曲が流れない日は無いほどで大人も子供も皆
口ずさんでいました。
さらに、一部の新聞で一国民の生涯に渡る苦節の映画を昭和天皇も鑑賞されて感涙されたと報道されると堰
を切ったように国民は映画館に殺到したものでした。
母親に連れられてこの映画を視に行ったのは8歳の時でした。
石狩灯台では同僚の妻が病に倒れ、馬橇で何十キロもの道のりを病院に向かうのですが、途中で走っていた
馬が雪上で止まり、反転して元の道をとぼとぼと引き返す場面になると劇場内の暗闇からすすり泣く声や嗚咽
が溢れていました。子供心に何と凄い表現をする映画だろうと感心するとともに、人間には自分ではどうにも
ならない運命に支配されていることへの恐怖心を感じたものでした。
また、公開時の映画では、長男 光太郎がビルの出入り口で不良と肩がぶつかったことから喧嘩となりナイフ
で刺されてしまう場面があるのですが、その後のビデオやDVD、TV放送でもこの場面がカットされていて未だに
不思議で仕方がありません。
映画のラストでは、日本各地の灯台を巡った両親の人生を引き継ぐように娘夫婦の艱難辛苦の出発を象徴す
るような門出のシーンが待っています。
商社の夫と結婚して新天地であるエジプトのカイロに赴任する客船上の雪野夫妻を見送る観音崎灯台の有沢
夫妻との間で交わされる客船と灯台間の大音量の霧笛のやりとり。
この場面は8歳の私も突然涙が溢れ画面が滲んでよく見えなかった記憶があります。
本年は木下監督生誕100年を迎えますが、この作品は日本映画の代表作の一つといっても過言ではありません。
各地で行われたロケシーンが美しい。
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