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矢場に 神社霊場 ルーツをめぐる (光文社新書)

◆誰か神様に会ったことがあるのだろうか?
 神社へ行くのが好きだ。ふと疑問がわいた。神社には神様が祀られている。その神様について、まるで見たことがあるかのように語られているときがある。
 でも誰か神様に会ったことがあるのだろうか? 神話のなかだけに登場するものではないか。お釈迦様、イエス様は、相当な誇張があるにしても。歴史上の人物だ。

 そんなもやもやした気分の中で、本書と出会う。
 本書は日本の神々、信仰のルーツを求めて神社・霊場を巡った探訪記。伊勢、出雲など21ヵ所。建築の専門家らしく社殿や境内の説明が詳しい。

◆霊が神となった
 いにしえの人びとは祖霊や物の怪、生命の誕生や超常的と映る自然現象など、森羅万象にひそむなにか得体の知れない力を感じていた。それは姿かたちをもたず、目に見えないものであった。
それを「神」と呼んだ。日本において神は善悪以前の存在であった。

◆見えない神を置き換える
 見えない神をまつるには、目に見えるものに置き換える。姿かたちをもたない神が一時的に依り憑く形のあるもの、依り代はやがて神そのものであるように見なされる。御神体と崇められる。
 御神体には、山、岩、樹木、湧き水、滝など。鏡、刀剣など。魂など様々。御神体を祭祀の対象として、それをまつる場所(祭場)や建物(祭壇)が設けられるようになる。

◆神社の成立は意外に新しい
 神社という制度が成立したのは7世紀後半以降とみられる。縄文以来つちかわれてきた列島古来の様々な信仰は、天皇を中心とする祭政一致の秩序のなかに位置づけられる。その施設として神社という形になり整備されていく。
 この時期平行して、古事記、日本書紀が天皇神話のもとに編纂される。この過程で神々のありようにかなりの変容があった。

★自分の結論
 神話出身のカミサマであっても、千年以上信仰されたら立派に神様になっていると思う(^ω^;)(;^ω^) 神社霊場 ルーツをめぐる (光文社新書) 関連情報

矢場に 脱・家族経営の心得―名古屋名物「みそかつ矢場とん」素人女将に学ぶ

名古屋のとんかつ屋さんの女将さん語った内容をまとめられたもの、
なかなか女将という立場での書籍はありそうでないのでこれは企画がいいなと思いました。
やはり現在に至るまで順風満帆とはいかなかったらしく、かつてのピンチから脱出する際のけじめと凛とした態度がとても印象的でした。
特に仕入先を一気に変える際、社長とかなり衝突されたようですがそういう壁を乗り越えてこその現在だという学びは大きいです。 脱・家族経営の心得―名古屋名物「みそかつ矢場とん」素人女将に学ぶ 関連情報

矢場に 北の反戦地主川瀬氾二の生涯―矢臼別演習場のど真ん中で生ききった!

北の大地を開墾するために矢臼別に60年近く留まり、身の丈に合った平和運動を貫いた男の生涯を描いた感動的な著作であるとまず感じた。
タイトルの「反戦地主」川瀬さん(2009年4月に他界)は、「その地に居たいから居る」という素朴な思いが自分を支えてくれたと、平和希求の波乱の人生を振り返る。
開墾した地は、自衛隊の軍事演習場の開発計画の対象となり、運命的に反戦運動が始まる。
小生も小学校のころ社会科の授業で根釧台地のパイロットファームを習った記憶がある。広い大地で欧米式の機械式の大規模酪農をやる農場のことで、政府主導のもとで多額の借金をして、開墾者は大地の未来に賭けた。
本書により、矢臼別もパイロットファームの一角をなし、演習場候補地からの立ち退きを迫られた開墾者が借金返済のために、土地を手放さざるを得なかったという裏側を教えられた。
川瀬さんは、「有るカネを有るように使う」主義で、借金をせずに身の丈の生き方をしてきた為に「その地に居たいから居る」という思いを遂げることができた。
演習場の中に居住することで、日米安保条約に伴う日米の軍事関係の変化、演習場での戦闘演習が国外での戦争に果たす役割が自ずと見えてくる。そして、非戦の立場を最後まで守ってくれるのが平和憲法であることを実感するにいたる。
本著の面白いところは、観念としての平和運動ではなく、砲撃音に響きと振動により常に戦争との関わりを感じさせる日常生活を送ってきた人々の生きざまを通して、身の丈の平和運動を教えてくれた点にある。一人の男の心の迷いと思いを家族が支え、地域が支え、同志が支え手始めて、国の平和が保たれていくプロセスを辿りたい方は是非一読されてはいかがでしょうか。
少なくとも、安全保障という国益のもと、核兵器の保有の議論をする輩よりも、身の回りのできることから活動を始めた人間の生きざまのほうがずうっと説得あると思いました。 北の反戦地主川瀬氾二の生涯―矢臼別演習場のど真ん中で生ききった! 関連情報